[川崎病再発] 再発経緯の詳細~発病から入院まで~
2015/09/11
2度目の川崎病にかかった息子の発症経緯を詳しく書いていこうと思います。
様態急変~2014年12月31日深夜~
2014年12月31日。
大晦日の夜、家族で紅白歌合戦を見ていました。5歳の息子は幼稚園も冬休みに入り、ウキウキ状態。私も大晦日と言う事で気が緩み、ゆく年くる年なども見続け、一緒に寝たのが12時半近くになってしまいました。
その間、息子の頬が異常に赤くなっていて、疲れがたまってきたのかな・・早く寝させなきゃ。と思った記憶があります。
そして、12時半ごろ就寝。息子は布団に入るなり即寝てしまいました。
私はすぐには寝れず、布団の中にいたのですが しばらくすると隣で寝ている息子がウーウー言いながらうなされ始めました。怖い夢でも見ているのかな・・・やっぱり早く寝させなきゃダメだったな・・ごめん・・とその時思いました。
大晦日の夜。こんなに元気だった息子。
紅白を見ながら、年越しそばのカップ麺を食べている息子。(手抜きでごめん)食べている時から、少し頬が赤くなってきていた。
2015年元旦・発熱。
2015年1月1日。
夜遅くに寝たにもかかわらず、次の日朝の8時にパッと起きた息子。起きてすぐにリビングにやって来ました。
しかし、何となく具合が悪い感じ。朝ごはんも食べたくないとグズグズ言いながら コタツで横になるばかり。
私は、寝不足で機嫌が悪いんだな・・・と感じていました。コタツでゴロゴロしながらグズグズ。寝不足ってこんなに次の日に引きづるのか!今日は早く寝させなきゃ!と思っていると、11時頃やっとお昼寝。
お昼寝から目覚めたら、少しは機嫌がよくなるかと思ったら 余計機嫌が悪くなっている・・。そして、熱を測ったら38度5分!!あ~インフルエンザにかかったのか!と思い、急いで救急へ。
しかし、結果は陰性。
熱が出たばかりなので、解熱剤で様子を見て明日になっても熱があるようなら、再度来るようにと言われ、その日は帰宅。
1月2日:
熱は下がらず、再度救急へ。インフルエンザ検査。
結果は又も陰性。
インフルエンザだと確信していたので、またもや陰性と診断が出て一体何の病気かと不安がよぎりました。
そして、先生の一言に驚愕。
「リンパ腺が腫れています。リンパ節炎、もしくは川崎病かもしれません。今日から3日間様子を見て、熱が下がらないようだったら、一度大きな病院で診てもらってね」
・・・・。
・・・・川崎病!川崎病と言いました?!
ショックでした。何しろ息子は生後半年で一度発病し、完治したと言われていたからです。そして、この日より首が痛いと言い出しました。また首を冷やして欲しいと言い、アイスノンをずっと首に当てていました。
また夜寝るとき、首が痛くて横になれないというので、横抱っこをしながら寝たりしていました。しかし、抱っこも痛いと言うので座椅子と座椅子をくっつけて左右に壁を作り、布団にくるませて体を固定して やっと寝れる、、こんな状態まで行ってしまいました。
1月3日:
熱が下がらず。
2日より首のリンパがすごく腫れてきました。しきりに首を冷やして欲しいと言いアイスノンを首にあて手放せない状態。(頬と首が一体するくらい腫れていた。全く首を動かせない状態。)
解熱剤&抗生物質を飲みつつ様子見。
しかし、午後にとうとう40度に!先生は3日間様子を見るように・・と言っていたけど、怖くなり市立病院の救急へ向かいました。(熱も高いし、なんと言っても首の腫れが素人目にも異常だった)
17時頃到着:新年早々救急は沢山の人。だいたいがインフルエンザみたいでした。意外に早く呼ばれて、症状を伝えました。
[note]①・31日寝ている間にうなされていた。
②・1月1日、午後から発熱(8.5度)
③・1日、2日とインフルエンザ検査をしたが陰性だった事。
④・救急外来で、リンパ線が腫れているので、リンパ節炎か川崎病かも知らないと言われた事。
⑤・首が腫れて痛がっている、動けなくなってしまっている。
以上5点を伝えました。[/note]
そして以下の段取りで診察がスタートしました。
[note]①・ウィルス性の病気にかかっていないか検査をする。→喉の粘膜を綿棒で取り検査→陰性。
②・レントゲンで肺の状態を見る。→肺は特に異常なし。
③・尿検査をする。
④・血液検査をする。→そのまま抗生物質点滴がスタート。[/note]
全ての検査が終わったのは、19時頃でした。
診断結果。
[note]川崎病疑い[/note]
かなり強い川崎病よりの病気(川崎病疑い)との診断が19時半頃下されました。そしてそのまま入院が決定。
2度目と言う事もあり、再発したショックはもちろんありましたが、1回目は比較的早くに良くなったので、今回も又すぐ良くなるだろう・・と若干の安堵感も感じました。
しかし、2度目の川崎病は1度目より大変なものとなりました。そして、その日から数えて20日間の長い長い入院生活がスタートしたのです。
闘病生活記録↓